ブログトップへアメリカの生活へホームへ



   
..*..*.. 2006 Aug 02, Wed ..*..*..

'*★ チャンプカー サンノゼ グランプリ ★*'


行ってきました。チャンプカー サンノゼ グランプリ(Champ Car San Jose GP)。2006年7月28日〜30日開催。私たちは、土曜日と日曜日に行きました。

チャンプカーと言っても、知らない人が多いと思うので、まず歴史を簡単に説明します。

1979年に CART(Championship Auto Racing Teams)としてインディカーによるチャンピオンシップシリーズが運営され、1990年代前半には世界的にも一時期F1と肩を並べる勢いをもったそうです。

ところが、国際化路線をとったため、アメリカ人ドライバーの減少、アメリカ国内のレース数の減少、アメリカで大人気のオーバルレースの減少のため、世界3大レースのひとつであるインディ500の主催者の「インディアナポリス モーター スピードウェイ(IMS)」が不満を持ち、CART側と対立、結局、分裂してしまいます。

IMS側は新たにインディ レーシング リーグ(IRL)を設立し、インディ500を中心としたオーバルレース中心のレースを開催するとになりました。

CART側はその後、紆余曲折を経て現在に至っているようです。

まとめると、1996年から、チャンプカー(Champ Car,CART主催)とインディカー(IndyCar,IRL主催)の2つのシリーズに分裂。それぞれ、「チャンプカー」「IRL」と呼ばれています。

チャンプカー(CART)の歴代の優勝者は、F1ファンにとっては、なじみ深い人が多いです。

1993年 ナイジェル・マンセル (イギリス)
1994年 アル・アンサーJr. (アメリカ合衆国)
1995年 ジャック・ヴィルヌーヴ (カナダ)
1996年 ジミー・バッサー (アメリカ合衆国)
1997年 アレックス・ザナルディ (イタリア)
1998年 アレックス・ザナルディ (イタリア)
1999年 ファン・パブロ・モントーヤ (コロンビア)
2000年 ジル・ド・フェラン (ブラジル)
2001年 ジル・ド・フェラン (ブラジル)
2002年 クリスチアーノ・ダ・マッタ (ブラジル)
2003年 ポール・トレーシー (カナダ)
2004年 セバスチャン・ボーデ (フランス)
2005年 セバスチャン・ボーデ (フランス)

アメリカ人とポール・トレーシー、セバスチャン・ボーデ以外はF1でも有名な人たちです。ポール・トレーシーとセバスチャン・ボーデは現在、チャンプカーで活躍しています。

+++++


レースは、サーキット、公道(ストリート)、オーバルの3種類があるのですが、前述のIRLやNASCarの台頭でオーバルでの開催が困難になり、また、独立資本のサーキットが減少しているそうで、特定メーカーの干渉を受けにくいストリート レースがシリーズの中心を占めるようになってきているそうです。

サンノゼ グランプリは、昨年(2005年)から、公道(ストリート)でのレースを開催することになりました。

ちなみに、来年(2007年)からラスベガスでの開催が決定、また、北海道小樽市が小樽GPの誘致活動をしているそうです。(どちらもストリート)

昨年は、家でテレビ鑑賞しましたが、今年は見に行ってきました。

今回は、ポール ニューマンが来ていて話題になっていました。

+++++


もうすっごく楽しかったです!

土曜日も日曜日も、朝の10時に出て夕方帰ってきたのですが、渋滞はまったくなし、駐車場も抱負で選び放題(15ドル-20ドル)。

いろんなイベントがあって、全部は見切れないくらい。コンサートあり、ラジコンレースあり、ゴーカートレースあり、モトクロスのフリースタイルあり、展示あり。

ストリートコースというのは、サーキットやオーバルと違って、間近で見ることができることを知りました。メインのチャンプカーの他には、アトランティック シリーズ(Atlantic Series)、Formula BMW、ストック カー レース(Historic Stock Car Race)、Drifting Challengeと抱負です。

コースは1周が1分弱と小さめのおかげで、あちこちにすぐに移動できて、どこからでも(金網越しに)見ることができるし、テレビがあちこちにあるので、見えないとこでも何が起こってるかわかって、本当に楽しいイベントでした。

渋滞がなかったのは、たぶん、これだけのイベントがあるので、レースが終わっても一気に人が帰らなかったからじゃないかと思います。また、目の前に駅があり、電車で移動する人もたくさんいたようです。

今回初めて見て、面白かったのは、Drifting Challenge。タイヤを鳴らしながら走るんです。カーブではタイヤスモークが上がり、今にもぶつかりそうになるので最初はとても怖かったんだけど、すぐに慣れて楽しめました。

コーナーではぐるぐる回ってくれたり、ドアを開けて走ってくれたりと、観客へのサービス精神が旺盛。クラッシュしてしまうことも多々あったようで、たった10分間なのに最後の方では数台になってしまっていました。

+++++


チャンプカーは、確かに国際色豊かです。アメリカ人はひとりしかいません。フランス人2人、イギリス人3人、カナダ3人、ブラジル人2人、オランダ人2人。あとは、オーストラリア人、スペイン人、ドイツ人、エストニア人、メキシコ人がひとりづつ。オーストラリアチームというのもあります。日本人は残念ながらひとりもいません。

女性ドライバーでは、IRLのダニカ パトリックが有名ですが、チャンプカーにはキャサリン レッグ(Legge)がいます。

去年と今年のトップのボーデのスポンサーは、マクドナルドです。

レースが終わった後、パドックパスを持っていれば、表彰台を間近で見ることができます。パドックパスは、確かWebでそんなに高くなく購入できるのですが、私たちは買ってなかったので、金網越しに見てました(笑)

ドライバーは、F1ドライバーと違って、すごく身近に感じました。彼らはとてもフレンドリーな印象で、サインしてあげたり、写真を撮らせてあげたりしてました。

レース後、表彰台に上がった3人(ボーデ、ダマッタ、ウィルソン)は、表彰台上でインタビュー等を終えたあと、5つ(くらい)のスポンサーの帽子をかぶって写真撮影していました。そのたびに、笑顔でトロフィーを頭の上に持ち上げ、撮影が終わると観客にかぶっていた帽子を投げてあげるということを繰り返していました。

F1ドライバーだったら、こんなに同じことを何回もやらされたら怒るよなー、などと思ってしまいました。

ほのぼのとした3人でした。

2日間の画像をアップしましたのでご覧ください。画像を1枚クリックして、[次へ-->]をクリックしていくとスライド風に見ることができます。コメントもつけました。

San Jose GP 2006年7月29日 土曜日(59枚)

San Jose GP 2006年7月30日 日曜日(98枚)

+++++


さて、メインのチャンプカー レースのことも少し。

去年に引き続き、圧倒的に強いのはフランス人のセバスチャン ボーデ(Sebastien Bourdais)。それに私の応援するイギリス人のジャスティン ウィルソン(Justin Wilson)、アメリカ人ドライバーA.J. アルメンディンガー(Allmendinger)、カナダ人のポール トレーシー(Paul Tracy)と続きます。A.Jはサンノゼ出身でもあり、開催前からテレビで盛り上がっていました。

私がウィルソンを好きになったのは、2003年のF1を見てからです。ミナルディという弱小チームで、キラリと速いタイムを見せることがありました。イギリス人ドライバーはたくさんいるため、なかなかスポンサーがつかなかったため、彼は「ジャスティン ウィルソン株式会社」を作り、売った株を資金にして、勝ったときの報酬を株主に返金するという画期的なことをしました。

後半、彼はジャガーに移ってポイントをとったけど、2004年は、F1のシートを得ることはできませんでした。でも、こっちで活躍していてくれて、嬉しくなったんですよね。

2005年から、Push-to-Passの使用が認められました。レース中に合計60秒間だけエンジンパワーを増大させることができとというものです。これを使うことにより、追い抜きが可能になり、レースがおもしろくなります。

今回、3位に入ったクリスチアーノ・ダ・マッタ(Cristiano da Matta)は、一時期、上位にいたのに、いつの間にか下位に落ちていて、また最後にあがってきたのですが、これってPush-to-Passを使ったのではないかと思います。

おかげで、抜きどころがない割には、順位がどんどん変わるのが面白かったです。

ダン クラーク(Dan Clarke)というルーキーが速かったんだけど、途中でメカニカル トラブルで失速してしまいました。自分のマシンを蹴飛ばしてるシーンが映り、微笑ましかったです。

事件はそのあとに起こりました。トレーシーが退避場所にコースオフして、コース上に復帰するときに不注意だったため、アレックス タグリーニ(Alex Tagliani)にぶつかってしまったのです。そして、2人ともリタイア。

その後、2人がピットに歩いて戻る途中、アレックスがトレーシーに文句を言ってるシーンが映りました。トレーシーは黙っていましたが、しばらくしてまたアレックスが文句。よっぽど悔しかったのでしょうね。ここで、トレーシーがアレックスに殴りかかり、つかみ合いの喧嘩になりました。

これがテレビでも大写しになり、何度も放映され、観客は沸いていました。

あとで記事を読んだら、トレーシーは自分のミスだったのでショックを受けていて、最初はアレックスに謝って「ひとりにしてくれ」と言ったそうです。そこにアレックスが何度も言いがかりをつけたので、頭にきて殴ったそうです。

アレックスの方は、チームメートのルーキー、ウィル パワー(Will Power)が最近の3つのレースで、なんと6台もマシンを壊していて、チームはスペアのマシンがありませんでした。それで、「マシンをどうしてくれるんだ、マシンをくれ!」と文句を言っていたそうです。

来場者は3日間で、のべ155000人。去年より少し多かったそうです。


この記事のURL : http://www.kkoisland.com/blog/docs/F1/060802.html

TrackBack ping me at: http://www.kkoisland.com/blog/docs/F1/060802.trackback

no trackback





       

December 2018
           
         

Recent Entry

Category

Archives

2004年の日記
2003年の日記
2002年の日記
2001年の日記
2000年の日記
1999年の日記
1998年の日記
1997年の日記


RSS Subscribe