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..*..*.. 2005 Mar 27, Sun ..*..*..

'*★ つれづれノート13(銀色夏生著) ★*'


銀色夏生の「つれづれノート」は、彼女が毎日のことを綴った日記で、1年に1冊づつ出して最新が13巻。2度の結婚と2度の離婚を経て、それぞれの相手の子供を連れて出身地の宮崎に帰り、自分の家をたてたところ。この13巻は、2003年4月から2004年3月までの日記です。

この本は久しぶりに読んだので、なんとなく他も読み返しているうちに5巻から12巻まで読み直してしまった。今まで読んでいなかった7,8巻も新たに買い足したりして。文庫になっていると、いつでもどこでも気楽に読めるのがいい。日記だから、半ページ読んでやめるとかも簡単にできるので、夕飯作ってる合間に台所で2,3ページ読んだり、買い物でレジに並んでるときや、歯医者で待ってるときなんかもちょこちょこと読んでた。

...2度の結婚と離婚というと恋多き女ととられそうだけど、特にそういうわけでもなく、目の前に現れた人とくっつき、それぞれの理由で離れただけと言う感じ。(1度目は相手に好きな人ができて、2度目は自分から違うと感じて)。そんな自分が2人も子供を生んだことに、「30代は繁殖期をそのまま行った」なんて自分で書いている。今の彼女は40代半ばくらいです。

日記なので、家族やよく会う友達については、あだなをつけて書いている。「自分の家族となった人は、"一般的"と言われる生活はできない部分があり、それが彼らにとってメリットにもなりデメリットにもなる」と言い、あまり気にする風もなく適当なあだ名をつけて書いているのが楽しい。

本や雑誌を書く人について、「何かの意見を言うとき、反対意見を気にしないですぐに本題に入って欲しい」というようなことが書いてあるんだけど、その通りだと思った。たとえば、「○○については、誰でも知っていることでしょうが、私はそういう方向から話しているのではなくて」というような文章はわざわざ書かなくていいと私も思う。わかる人にはわざわざ書かなくてもわかるし、わからない人にはどんな言い方をしてもわからない。反対意見を言うことが好きな人は、どんな書き方をしたって別の反対意見が出てくるものだと思うし。実際、銀色夏生は「つれづれノート」で実行していると思う(前置きなく本題に入る)。

ファンレターについて、以前はそのほとんどを楽しく読んでいたそうだが、100通に1通くらいの割合で悪意のあるものがあるそう。そういうものを読むと「もう続けて行けない」と思うくらい落ち込むそう。そして考えた末、ファンレターはもう読まない、と決めたとのこと。私は、100通中たった1通の悪意で落ち込む感受性ってとても大切だと思う。でも、その都度、著書に影響があっては、読者は安心してついていけない。感受性を持ち続けたまま、著作活動はプロであって欲しい。だから、この決断はとてもすばらしいことだと思った。

日常になにげなく感じていることを、きちんとわかる言葉で説明してくれる人。2人目の夫のイカチンと離婚する前後は「"本人から反論がある場合は、反論を書いてくれたらそれをそのまま載せる"ことにしている」と言い、実際、本人の了承を得て彼の書いたものを載せてるんだけど、イカチンの文章は何が言いたいのかわかりにくかった。銀色夏生が自身の言葉で書いた文章は、どこをとってもとてもよくわかる。物書きでないイカチンには、ちょっとかわいそうな場面でもあった。

人との関わり方も興味深い。自由業(詩人etc)で縛られずに生きているように見える人だけど、子供の学校の関係等で、嫌な付き合いがあるようで、それにどう対応してるか見るのも楽しい。

言ってることとやってることがときどき食い違ってるとこも楽しい。「人(自分)の書きかけの作品を黙って読むのは最低だ」なんて言いながら、自分も結構、人(子供)の書いたものを盗み見てたりしてる。もちろん、許される範囲でだけど。

13巻では、11歳の娘のかんちの犬、マロンに悩まされる毎日から始まり、かんちと本気でけんかしたり悩んだり、あと『死』についてよく考えたり調べたりしている年だったよう。

娘の「かんち」(今、11歳)には、相当てこずっている。かんちは、人がいやがることをしてしまったり、言われたことに素直に従わないへりくつを言う子供で、でも悪気はないように感じる。また、銀色夏生が離れていたくても、かんちは一人にされるのを嫌う。

銀色夏生は、かんちの高校卒業までの「あと7年の辛抱だ」なんて書いてるけど、そこに行きつくまでもたいへんだろうと思う。かんちの頑固さは筋金入りで、急に素直になることはなさそう。自分でうまくコントロールできないんだと思う。人ごとながら、2人にはがんばって欲しいと願う。

「死」については、「世の中の人々は必要以上に死ぬことを悲しむ」と言っている。人は誰でも死ぬのだから、そのことをまっすぐ受け止めよう、というようなこと。「死」についてあれこれ調べたり、本を読んだりしていて、それに対する考え方をわかりやすい言葉で書いてくれてるのが嬉しい。「死」という大きなテーマは自分では真剣に考えたくないものなので、こうやって真面目にわかりやすく書いてくれる人っていい。

ものごとを進めるときの手順については何かと参考になる。創作活動の部分は知らないけど、目に見えてやらなくちゃいけないことはさっさと終わらせ、カレンダーに書き込んで進めたり、子供絡みの地域の係などいつかはやらなくちゃいけないことは、早めに(この年)やってしまったり。

13巻の最後の方(2004年の2月と3月)では、幼稚園の壁に絵を描くという作業を引き受けて精力的に取り組んでいる。

彼女は冠婚葬祭に重点をおかない。年をとることを気にしない。人は常に変わるものということをいつも意識している。遊び心がある。固くない。ユーモアがある。弱くない。ものごとをさけて通らない。...読む人がいる限り、この「つれづれノート」は続けていこうと考えているそうで、今後もますます楽しみなシリーズです。


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