留学日記(97年3月)

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3月30日(日) 快晴

折り紙(97.3.27)

木曜日(3月27日)にエミリーの学校へ行って、子供たちに折り紙を教えてきました。毎週、子どもが何かを持ってきてクラスメートに紹介すると言う授業があるのだけど、エミリーが「恵子を持っていく」と言ったので、お母さんのミッキーに「日本の何かを紹介してくれないか」と頼まれたのです。それで私は折り紙を教えてあげることにしました。

前日にちょっと練習してみました。今までディビッドやジャスティンに折り紙を教えたことがあるので、何ができるかできないかはだいたいわかります。いろいろ作ってみたけど、だいたいは展示用にして、子どもに作らせるものとして選んだのは、「かぶと」「奴さん」「猫ときつねの顔」です。

私はエミリーのクラスの子、7人づつに6回教えます。上記の3つのうち、どれがいいか選ばせると、ほとんどの子どもは「猫ときつねの顔」を選びました。時間があった時は2番目に「かぶと」を選び、「奴さん」は全く人気がありませんでした。奴さんが”人”だと言うことも説明しないとわからなかったようです。「猫ときつねの顔」は簡単で、ちょっと折ったあと、表に猫の顔、裏にきつねの顔を書くだけなのですが、それが子どもたちには楽しかったようです。「かぶと」はほとんどの子が出来上がったあと頭にのせて歩いていました。

でも困ったのは、私は「難しいから3つの中から選ぶように」と言ったのに、展示用の折り紙を見て、そっちが作りたい、と言ったこと。「だめ」と言ってもなかなか聞いてくれずたいへんでした。結局全部終わった後、ペンギンを作りたい子どもだけ集めたら10人くらいいました。私が何度もゆっくりやってみせたのに、皆、くちばしが作れず、全員のくちばしを私が折ってあげました。(予想通り(^^;)

お昼の時間も一緒にいたのですが、子供たちは、昼食をとるにも、外に遊びに行くにも、教室から出るときにはすべて一列に並んでいました。確かにそれくらいしないといなくなっちゃったりするのかもしれません。子どもたちはとても元気がよく、自己主張が日本人より強いような気がしました。それからこれはアメリカ人の特徴かもしれませんが、名前を覚えるのが早い。皆、すぐ Keiko と呼ぶようになりました。

午後も少し教えたあと、何人か来て「(展示してあるものの)作り方を教えて欲しい」と言うので、私は「時間がないから」と言ってうっかり、作ってあげてしまいました。すると子どもの列ができてしまい、私は残りの時間ずっと折り紙を折り続けるはめに、、、(^^;、、ここでは「あやめ」と「小鳥」が人気でした。

印象的だったのは、帰りに何人もの子どもが、"Thank you, Keiko."と言って帰って行ったこと。こちらの学校では、日本のように学年単位で行動することはほとんどなくクラス単位なので、先生の意志一つで何でもできるそうです。だから、私のような訪問者も多く、子どもの方も珍しがることなく、普通に接するようです。

とても楽しい一日だったのですが、ニューヨークでの疲れもとれないまま、また大勢と接したので、またまた疲れきってしまいました。本当に働いている人から見たらびっくりするかもしれないけど、私の一日の行動はほとんど家と学校の往復なのです。このままじゃあ、つまらないからなんとかしなくては。。




3月22日(土) 曇り でも雨が振りそう、、私は雨が大好きなので嬉しいな(*^^*)

ミュージカル・シカゴ(97.3.22)

ニューヨークで、『シカゴ』を見てきました。ややこしいですね(^^;、、実は私、3年近くニューヨークから2時間のところに住んでいて、ブロードウェイミュージカルは一度も行ったことがなかったのです。もともとミュージカルは好きで、日本にいた頃は、大きなものはだいたい見に行っていました。

『レ・ミゼラブル』のようなものもいいのですが、今回の『シカゴ』はおかしくて楽しくて、”アメリカ”ならではのような気がしました。ストーリーは、20世紀前半頃のシカゴで、ナイトクラブ歌手ロキシーが恋人を殺害して、悪徳弁護士によって罪を逃れ、人々の同情を集めて一躍スターの道につく。ロキシーにスターの座を奪われたベルマとのこっけいなやりとり、ロキシー自身も他の夫を殺した歌手に人気を奪われそうになったりして、ほとんど笑いの連続でした。ステージ中央にオーケストラ、そのオーケストラとのおかしなやりとりもあったり、、、。

ナイトクラブだけに女性の服装は皆、ほとんど下着同然でスタイル抜群。ロキシー(Nancy Hess)とベルマ(Bebe Neuwirth)以外の女優さんたちは背がすごく高くて、男性と同じくらいでした。ロキシーとベルマは滑稽で間の取り方もおかしくて、さすがにアメリカ人、という感じがしました。「これを日本でやるとしたら、誰ができるだろう?」と一緒に行った子たちと話したのですが、どうにもあてはまりそうな人は見当たりません。しかも二人もなんて。。。

印象的なのは、どの人をとっても、指の先から足の先まで緊張感がただよい、一歩も間違いがないように感じられたことです。日本で見ていた時には、うまい人はうまいけど、全体が一つのような感じはなかった気がします。なんていうか、配役の層が厚いのではないかな、という感じです。聞くところによると、たとえば舞台でつまづいたりすると、すぐ役を代えられてしまったりするそうです。つまり代わりになる人はいくらでもいる、ということらしいのです。

また、日本のように、公演期間というものが決まっていず、面白ければいつまでも続くし、つまらなければすぐに打ち切りになってしまうそうです。今回、券をとってくれた友達は、高校を卒業してすぐこっちに来て私より2年長くいて、日本のミュージカルを見たことがありません。私が「これ、いつまでやるの?」とか、「俳優さんたちのスケジュール表(ダブルキャストだと何日は誰、という細かいスケジュール表が日本にはある)が欲しい」と聞いた言葉が通じませんでした。細かい先のことはわからないのが普通だそうです。厳しいですね。

この日は、もう一人のオレゴンから来た友人のために自由の女神を見に行ったり、買い物をして、次の日は美術館めぐり(メトロポリタン、現代美術館)。その後、彼女をニューパルツまで連れてきて2日間案内をしたのですが、私はたったこれだけのことで異常に疲れてしまいました。このホームページの更新もいつもは(米国の)金曜日にするのに、疲れきっていて今は土曜日。まだ疲れがとれないのです。普段、ちょっとしたことでも車を使っているせいかな。夏場はジョギングしたり、エアロビをしていたけど、ここ5ヶ月くらい何もしていないもの。また何か考えなくては。。。




3月16日(日) 曇り
停電(96.12.7)

あれは忘れもしない、3ヶ月前の12月8日のこと。このあたり一帯が停電になったのだ。夜中の12:30前後、私はハウスメートのキティと話をしていた。いきなり暗くなったのだが、その1週間くらい前にも同じことがあったので、私たちは気にしなかった。ろうそくをつけたりしてわいわいやっていたのだが、15分たっても30分たっても電気がつかない。これは今までにない異常なことだ。ダグラスが電話をかけて確認している。ふと気付くと家の周りの電気はすべて消えていた。

結局1時間たっても何の変化も起きないので、皆、明日に希望をかけつつ寝の姿勢に入った。ところが私だけは眠れない。なぜなら、私は夜中に勉強するつもりで午後いっぱい寝ていて、1時間くらい前に起きたばっかりだったのだ!電気がつくことに希望をかけつつ、ろうそくの光で本を読もうとしたが見えなかった。パソコンは1時間で充電はなくなった。それよりも何よりもダグが停電が長引くことを心配して暖房をおとしたので、寒くなってきて、布団の中にもぐるより他なかった。眠れない長い夜の始まりだった。

結局、これは私が経験した中で2番目に長い夜となった。一番は高校の時に歯の神経をとった日の夜、痛みで眠れなかった時だ。今回は考えごとをしようとしたり、寝返りをうちながら、一睡もできず、テレビを見ることも本を読むこともできない夜をすごした。

とうとう朝になった。周りが明るくなったが私は疲れ切っていた。私はお腹がすいたが、電気がないため(こっちはガスではない)食事をつくることもミルクを暖めることもできず、冷たいものを食べて身体が冷えるよりは、と食べるのをあきらめた。ダグが灯油のストーブをつけた。これが唯一の炎だ。私ははっと思い立って、やかんをのせ、なんとかお茶を飲んだ。ダグが私のアイディアを見て、自分にもやかんを貸してくれというので私は喜んで貸した。

学校に行けば暖かいだろうか、と考えたが、万一町すべてが停電をしているのなら、どこに行っても暖かいところはない。せっかく暖まっている布団を出て寒い思いをして、寒いかもしれないところに行く勇気はなかった。どれくらいの範囲で停電してるのだろう?でも、テレビがつかないので確かめることもできない。

結局、電気がついたのは、14時間後の午後2時過ぎだった。やっとの思いで14時間ぶりの食事をした。そして私は疲れきっていてせいか眠ってしまった。おそろしく長くて、寒くて、無駄な一日だった。

あとでテレビで知ったのだが、私の町全体が14時間の停電ではなかった。ほんの一角が不運なことに長引いたのだ。でも、この停電はかなり広い範囲で起こっていて、別の町でなんと36時間、電気のない生活をした人の話が新聞に載っていた。この人たちも食べ物に一番困ったそうだ。私の学校はほとんど被害がなかったそうだ。いちかばちかの気持ちで行って見ればよかった。そうすればここまで思い出に残る悲惨な経験をしなくてもすんだかもしれない。。。ただ、心のどこかで、普段はできない体験ができたことを誇り(?)に思っている自分に気がついた。全くなにもしないで14時間も起きていることなんて、これから先経験できるだろうか?

お知らせ

来週は泊りでニューヨークへ行くため(*^^*)、週末日記はお休みさせていただきますm(_ _)m、、、、8ヶ月ぶりのニューヨークだ〜\(^^@)/。



3月15日(土) 雪 のち みぞれ
ディビッド(97.3)

毎週、木曜日にはベビーシッターに行っています。 ディビッドとジャスティンを迎えに行ったあと、お父さんかお母さんが帰ってくるまで一緒に遊ぶのですが、今週はディビッドが「今日は買いたいものがある。お金を持ってるから連れていって」と言いました。私は「どこかに連れて行く時にはお父さんかお母さんに頼まれるけど、今日は頼まれてないからだめ」と言うと、「じゃあ聞いてみる」と両親の職場に電話しました。が、誰も出なかったようです。

「けいこ、お願い!」
「(とてもかわいい)うーん、yes とは言えないけど、どうしても行きたいんだったら連れてってあげる。だけど、自分で説明しなくちゃだめだよ。そのことでお父さんやお母さんが怒ったり悲しんだりしても自分の責任だよ。それでも行く?」
「お願い!yes と言って!!!」
「言えないよ(う、つらい、、(^^;)。あと40分も待てばお父さんが帰ってくるんだよ。それから頼めばいいじゃない。あとたった40分だよ」
---しばらく考えて
「わかった、自分で言う、だから今、連れてって」
と言うので、連れて行くことにしました。

買い物に行って帰ってくると同時にお父さんのデニスも帰ってきました。挨拶をしたあと、お父さんが、「今どこに行って来たの?」と聞きました。私は「ほら来た」と思いながら「ディビッド、自分で説明しなさい。」と言いました

「ニューパルツまで連れていってもらった。どうしても欲しかったものがあったの。もうずっと長いこと欲しくて欲しくてたまらなかったの。」
「なるほど。ディビッド、あとで話がある。」
「問題(trouble)?」
「その通り(yes)」
「でもこれはどうしても欲しくて欲しくて、それに自分のお金で買ったんだ」
「その前にお父さんかお母さんに言わなくちゃいけなかったね」
「電話をかけたんだ。誰もいなかったの」
「じゃあ、待たなくちゃ」
「But I try,,,,(でもかけようとした、、、)」
「Nice try.」
「ところで、Keiko、春らしい服だね!」

さすがアメリカ人!どんな時にもちょっとした変化に気付いて、ほめてくれることを忘れません。私はお礼を言ってそのまま、彼らをあとにしました。神妙な顔をしていましたが、思った通りの展開になったので、帰りの車の中でおかしくてしょうがありませんでした。

でもその夜、気になったのでどうなったのか電話をかけて聞いてみました。すると、ディビッドが勝手に買い物をしたことが悪かったのではなくて、私に頼んだことがいけなかったそうです。ディビッドには私にお願いをする権利はない、とのこと。なるほど。とてもかわいいので、周りの者はどうしても聞いてあげたくなっちゃうのですが、さすがは親、こういうところがきちんとしていることに感心してしまいました。

ディビッドがそんなにしてまで欲しかったもの。それはゴムでできた「とかげ」です。。。。(^^;。。。やっぱり子どもってかわいい。(^-^)




3月9日(日) 曇り
あきこさんと川滝さん(97.2)

ある日、隣(?)の町の Woodstock へ買い物に行ったとき、そこのお店で働いていたあきこさんが私を日本人だと思って声をかけてくださいました。10分くらい立ち話をしたあと楽しかったので、「これは!」と思い、私が連絡先を聞いたのが始まりで、その後、e-mail を通してやりとりをしているうちに親しくなっていきました。

私は、それまでこのあたりでは学生しか知らず、ニューヨークの方では前の会社の駐在さんは知っていましたが、日本人でここに足をつけて生活している人のことは知りませんでした。でもあきこさんと話しているうちにそういう人が、割とたくさんいることを知りました。不思議なことに、日本人の女性とアメリカ人の男性、というカップルがたくさんいるようです。あきこさんにはクリフさんというアメリカ人のだんなさんがいて、外国人に英語を教えていらっしゃるそうです。あきこさんは日本で働いていたこともあり、いろいろな経験をしてきていて、私はお話するのがいつも楽しみです。学生(自分)だとどうしても一人前の感じがしませんが、やっぱり生活が地についてるという感じで、そういう人と話せることは私にも刺激になります。

しばらくしてあきこさんのお知り合いの川滝さんからお電話をいただきました。これが、昨日書いた「留学ジャーナル」(の依頼です。依頼を受けてから、メールをやりとりしたあと、取材(撮影)の日に初めてお目にかかりました。だんなさんのグレンさんはカメラマン。グレンさんは日本語も上手で、直接キムと英語でしゃべったり、わきあいあいと終わりました。その後、川滝さんは私とキムの対談をきれいにまとめてくださいました。私は日ごろから自分の経歴−なぜ専攻を変更したか−をうまく伝えられずに困っていたのですが、川滝さんは記事の中でうまくまとめてくださり、感謝しています。さすがにものを書く仕事の人は違うなぁ、、と思いました。

川滝さん夫婦は日本語(川滝さん)も英語(グレンさん)もネィティブで、カメラマンもいて、川滝さんがライターで、全部そろって心強いのペアだと思いました。日本からの依頼はいつもこのペアでこなしていらっしゃるそうです。川滝さんたちのホームページはここです。日本からの急な依頼にも対応してくれるようなので、皆さんもご利用してみては?

こんな風にあきこさんや川滝さんと出会えたのは、私にとって大きいことです。いろいろな人がいて、いろいろな生活があって、いろいろな考えがある。頭ではわかっていても、実際おしゃべりをしてお話してみると、もっといきいきとしたものが伝わってきます。あきこさんには、他のお友達を紹介していただいたりして、私の知らなかった世界が広がっています。

さて、取材当日、そうやって楽しく取材が終わり「ホームページも立ち上げたし、最近楽しいことばかりだなぁ〜」と思ったその日、私のモデム(Mwave--think pad 内蔵モデム)がお亡くなりになってしまったのでした。。。(^^;


お知らせ

2月15日に出したベビーシッター(Danny & Emily と) で、エミリーから「自分の顔がくずれてる」という指摘を受けました(^^;。ちょっと拡大したのでくずれてしまったようです。もう一度入れ直したので、エミリーのためにも、もう一度ご覧ください。m(_ _)m




3月8日(土) 曇り
留学ジャーナル(97.2)

私、「留学ジャーナル・春の特別号」に載ることになりました。この雑誌は季刊なのですが、春だけアメリカ留学にしぼった特別号を出しているそうです。出版は4月です。日にちはよくわかりませんが、店頭で見かけたらパラパラと見てみてくださいね。(^-^)

最初、このお話があったとき、「もっと若い人の方がいいのでは?」と提案してみたのですが、今回の特集は「アメリカと日本の大学を徹底比較!」という内容なので、日本の大学も経験している人を探していたそうです。確かに周りは高校を卒業して来た人が多いので、私が引き受けることにしました。

アメリカ人の友達と対談しているところを取材したいということで、私は先々学期、ほとんど毎日一緒にいたキムに声をかけました。彼女との出会いなどは記事の中に書かれています。二人とも必修科目である数学(Calculus)を半年間一緒に勉強したのです。

記事の内容は、アメリカの大学での授業の取り組みかたとか、私が日本の大学に通っていた頃のことを思い出したり(10年前になるので全然違ってたらどうしよう、、(^^;とちょっと不安ですが、、)、キムがアメリカの成績の付け方を説明したり。でも、平均的なアメリカ人、日本人というより、お互い自分のことをしゃべっています。取材してくださった川滝さんがうまくまとめてくださったことに感謝しています。

取材は、私とキムが質問にあらかじめ答えておいて、当日はほとんど写真撮影。このページは巻頭のカラーグラビアということで(*^^*)、1時間15分くらいかけてたくさん撮ってくださいました。

普段は私もキムもラフな服装で、お化粧も全くしないので、「私だけいい格好をしちゃ悪いな」と思ってニューヨークへ行く時の(私にとっては)おしゃれなコートも着ないで、口紅を少し濃くつけるくらいでほとんどノーメークにしたのですが、行ってみてびっくり。キムはとってもおしゃれな格好をしてるのです。髪の毛なんかいつもぼさぼさだったのに、きれいにセットしているし、口紅も今まで見たことのない色、そしておしゃれなコートです。おまけにマヌキュアまでして。「しまった!彼女はアピールのうまいアメリカ人だった!」と思ったのも後の祭り。私に残っているのはキムを責めることだけ(^^;。「どうしていつもと違う格好をしてるの?」と言うと、「恵子だってマスカラつけてるよ」、、、私、マスカラだけは、毎日つけてるのです、、、「キム、半年一緒にいて気がつかなかったの?」「初めて知ったよ。」、、、、(^^;;;

外は2月でまだ寒かったのですが、ほんとのカメラマンが撮影してくれるということで、私もキムも大喜び。「モデルになったみたいだね」といろんな場所で撮っていただきました。このうち何枚が載るのかしら、、、。キムは「雑誌に載ったら内容を説明してね!」と楽しみにしています。




3月2日(日) 曇り & 霧
はじめに(97.3)

こんにちは!今日から「週末日記」を始めます。

更新は毎週、土曜日と日曜日。留学しているとは言っても、私の生活はほとんど学校と家の往復でたいした変化はありません。その週に起こったことや、今までの留学生活のことを中心に書いていきたいと思います。

私は普段から毎日日記をつけています。これには、何が起こったかを覚えておくための他に、自分の考えていることや行動予定を紙に書いて頭の中を整理する、という私にとっては重要な((^^;)役割があります。でも面倒なこともあります。自分の考えや行動を迷っている時に書き出すことは大切なのですが、考えや行動が決まってしまえばもう用はありません。毎日同じような内容が少しづつ変わる程度で同じことが繰り返して書いてあるので、読み返す気は全く起きません。

反対に私の周りで起こった出来事は覚えておきたいし、読み返したいこともしばしばあります。が、読み返しても「出来事」が「考え」の中に埋もれてしまっていて全然見つかりません。せっかく「出来事」を覚えておくためにつけている日記でも、いざというときに使い物にならないのです。だから長いこと「考え」用と「出来事」用の2種類の日記をつけようと考えてきました。でも面倒くさいし、自分のためだけだとなかなかやる気になりませんでした。

今回、ホームページを作るに当たって、やっとこの問題が解決することに気がつきました。もともと人に話すために忘れないよう残しておきたいものなので、そういう種類の日記を読んでくれる方がいることは私の励みになります。それに私自身、自分の記憶がはっきりしているうちに書いておけば、何十年かたって読み返しても面白いかもしれない(^^)。そういう目的のもとにこのページは作って行きたいと考えています。

私の環境ですが、私は何度かの引越しのあと、現在はアメリカ人のオーナー、ダグラス(ダグ)と娘のケィティ(15歳)、他にハウスメート2人と暮らしています。ダグは物知りで、アメリカやアメリカ人の話をよくしてくれるので、私の日記によく登場してくれると思います。私自身の経歴は自己紹介にあります。一度目を通していただくとわかりやすいと思います。

今までは、ごあいさつのページを更新等のお知らせに使っていましたが、これからはこの日記でお知らせがありましたら入れていきます。ミニアルバムは、定期的に毎週土曜あたりに更新しています。

あとで読みやすいように、検索のページを作りました。(^^)v。書いた日付順と”あいうえお順”になっています。




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