留学日記(97年4月)

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4月27日(日) 晴れ
朝の散歩

私は毎朝8時に目覚しをセットしているのに起きられたことがありません(^^;。せいぜい9時か、10時になってしまうこともあります。私はよく生活の習慣を変えていて、先学期は昼の2時に起きて朝方6時に寝ていたのですが、こっちの冬場は日が落ちるのが早く、へたをすると日に当たっている時間が1時間しかとれないので(^^;今学期(1月)からそういう習慣はやめにしました。

うーん、起きられない起きられない。。春眠暁、、、だろうか?この前、ダグに「いつも8時くらいに音楽がなってるけど、どこか故障してるのか?」と聞かれました(^^;。私が「あれは目覚しだ」と答えると、いつも10時くらいに眠そうな顔をして"Good Morning"と言っている私を知っているダグは大笑いしていました。

。。。でも1年前まで私はちゃんと朝の6時に起きていたのです。なぜなら、ここに来てから2年間、私はほとんど毎朝、語学学校の時の先生だったクリスティンとサラと朝の散歩をしていたからです。

はじめ、クリスティンに「一緒に歩く?」と聞かれた時は、返事をしたものの「毎日なんてできるかなぁ」という気持ちで一杯でした。寝坊してしまったり、具合が悪い時はどうするのだろう、、となんとなく憂うつでした。でも実際始めてみて、私は初めてアメリカ人となにかすることの気楽さを感じました。まず、具合が悪くて歩けないとき(私はほとんどありませんが)は、すぐ電話がきます。前の日や当日直前にキャンセルする時でもカラッと明るく「今日は起きれなかったからやめるね」と電話がかかってきます。早いこと、簡単なこと。もし私がキャンセルするようなことがあれば、言い訳から始まって"I'm sorry"を連発したでしょう。

また、「明日は雨が降るそうだから中止」とか、「雨なら中止、雪なら決行」、「今晩は明日の教材を準備するから明日の朝は起きられない」と決断の早いこと。これが日本人同志なら「どうしようか?」に始まって関係ない話に発展したり、きっと毎日するには歯切れの悪いものになるのではないかと思います。一度私が寝坊した時にも「5分待って来なかったから行った」と切り替えが早く全然気にしていません。

こういう部分は手放しで見習いたいものです。こんな風に自分のいいたいことは言って、人も責めずに、機転もきいて、決断も早いという人生は気持ちがいいでしょうね。誰もがそうだというわけではありませんが、比較的アメリカ人には多いと思います。私はこういう人たちに出会えてラッキーだったと思います。

。。。今ではもう3人で歩く朝の散歩はなくなりました。サラは結婚してニューヨークシティへ行き、クリスティンも再婚して忙しくなったからです。その頃私も夜型の生活に切り替えました。最近、天気がよく気持ちよくなったので、私はまた一人で散歩を再会しています。でも時間の制約のがない散歩はいつでも行けるので、いつも10時や11時の日が高くなった時です。あの頃のようなメリハリのある生活をするには一人では難しいなぁ、、と、毎朝歩きながら甘えたことを(^^;考えています。





4月26日(土) 晴れ
一時帰国決定!(97.5-8)

この夏、日本に帰ることになりました\(^^@)/。夏はここに残るつもりだったのですが、予定していた夏のコースがなくなったのです。去年も一昨年もあったのですが、今年は学校が予定を変更したみたい。最初は戸惑いました。別の学校に夏だけ単位を取りに行くという人もいますが、私は一生懸命勉強してるのに成績が悪く、新しいところに行くと手続きなどで勉強に集中できなくなる可能性も出てくるので、思い切ってこの夏は一つも取らないことにしました。

実は、去年も一昨年も、帰らないと最初に言っていて帰っていました。一応理由はあるのですが、今回は本当に帰る理由はできないと思っていたので、とても嬉しいです。しかも今回は3ヶ月。アルバイトを探すつもりです。

予定は5月23日から8月21日。今年は学割がききます(^^)v。去年まで学割は30歳までで、旅行会社に電話したときも「30歳未満ですか、以下ですか?重要なことです!!」と言って確認してもらっていました。私は5月25日が誕生日なので、30歳以下なら25日以前の出発にすれば学割が効くし、未満ならどうせ学割は効かないのでいつ帰っても同じことでした。去年は『30歳以下』だったので、学割を効かせて帰ってきましたが、今年はたぶん無理だろうと思っていました。が、規則がかわったそうです。(^^)v

多少の問題は残りますが(支払いとか)、ほぼ順調です。車の保険の手続きとか来学期の授業の登録などをすませるくらいです。対この間決めたばかりなのですが、どうやって過ごそうかな、、と気持ちはもう日本へ、、(^^ゞ。あ、でもその前に試験が、、、、(^^;;;

私の帰国が決まると皆、喜んでくれました。でもディビッドだけは喜んでくれない。彼は前から私に「日本に帰らないで」と言っているのです。以前「あと2年いるからね」と言った時も「そのあとは?」と聞いてくる頭のいい子です。「手紙書くからね」と言ったのだけど、返事もしてくれなくってちょっと困っちゃった。この子どもたちは、私が本格帰国したらどれくらい私のことを覚えてくれるのだろう、、とよく考えましたが、ディビッドだけには、ずっと覚えていてもらいたいな。

ちょっと気が早いのですが、私の日本でのメールアドレスはKHB14013@niftyserve.or.jpです。お間違えないように(^-^)。日本では両親が入ってるプロバイダを使うと思います。電気メーカー・ノジマの作ったプロバイダで「ジョイナム」いうのだけど、この前ヤフーで検索したらひっかかって来なかった。まだあるのだろうか?(^^;、、でも両親はこの日記もミニアルバムも見てるから、まだあるよね、、(^^;;;




4月20日(日) 晴れ
ダイエット

昨日、体重増加のお話しをしましたが、今日はこの体重をどうやって落としたかを書いてみます。(^-^)、、と言ってもたいしたことはしていないのですが。。。(^^;

夏の間、何をしようかと考えていると、父が「ダンベル体操のダイエット」(鈴木正成著)の本(雑誌?)を買ってきてくれました。読んでいるとなんとなく原理がわかったのでやってみる気になりました。ダンベル体操は、ダンベルを使って上半身をすっきりさせると、他のところが落ちるよりも見た目にやせてみえるのがいいみたいです。

もう一つは、これは昔から体重を落としたいときにはやっていたことなのですが、食事と食事の間を6時間あけ、寝る前3時間は何も食べない、というものです。これは気分的にもすっきりするのでお勧めです。ダイエットの必要のない時は、テレビをみながらポテトチップ、、と言うのも捨て難いものがありますけど。。(^-^)

そして昨日書いたように一回に食べる量を意識的に減らす−今までご飯一回1カップ弱だったのを半カップにしました−と、この3通りでやってみることにしました。

実際、今までやったダイエットの中でこれが一番つらいものとなりました。自分でも気がつかなかったのですが、食べる量を減らすことがこんなにお腹のすくものだったとは、、、。最初の1ヶ月は本当につらいものでした。すぐお腹がすいてしまって、しかもまわりは食べている人ばかり。でも食べたいときはコーヒー、紅茶、ジュースを飲んでしのぎました。

そんなにしたのに、2ヶ月くらいたっても体重は全然落ちません。ただダンベル体操のおかげで見た目は少しすっきりしたような気が(^^;しました。普段のダイエットでは1ヶ月で1キロくらいは落ちていたので、さすが7キロ太ると手強い。。。次の手段として夕食の量を半分(1/4カップ)くらいに減らすことにしました。ここまでくると食べる量を減らすことは、最初に比べるとそんなにつらくは感じませんでした。

そして、3ヶ月たっても1キロも落ちなかったのが、冬に入って(4ヶ月後)一気に落ちはじめました。そして6ヶ月が終わる頃にはほとんど戻っていました。そこで夕食は普通にとる習慣に戻しました。でも今でも食べる量はほとんど増えていません。逆にお茶碗一杯がちょうどいいようにもなりました。家にこもっていて外で運動しませんから。

ダイエットは最初はつらいものですが、成功すると気分がいいものです。太った頃に入らなくなっていたジーンズがまたはけるようになるのはとても嬉しいものです。そして、去年の夏、日本に帰った時には皆から「ダイエット成功したね」と言われてまたまた嬉しかったです。

これからダイエットをする人の参考になったかな?ちなみに上記の「カップ」は日本の計量カップです(アメリカのではありません、念のため(^-^))。ダンベルと食事の両方からやると効果的だと思います。「ダンベル」の本にも書いてあるのですが、最初の3ヶ月は本当に全然落ちませんでしたが、根気よくやっているといきなり落ちはじめます(経験談)。(^^)v




4月19日(土) 雨
体重増加

私はこっちに来て1年間で7キロ太りました。でも7キロ太ったことに1年間も気付きませんでした(^^ゞ。今にして思えば不思議なのですが、面白いので記念に書いてみようと思います。

日本にいた頃はいつも身体にぴったりくるものを来ていて、ジーンズもスリムが好きでした。でもこっちに来て周りを見回してみると、ラフな服装をしている人が多かったので、ルーズのスカートとジーパンを何着か買ったところ、とても楽なのでその後ほとんどこのアメリカンスタイル(?)で通していました。またこっちでの体重はポンドなのですが、面倒なので何キロなのか計算せずにいました。

半年たった頃、家に私の写真を送ったのですが、母がそれを見て「恵子、太ったね」と言った時も「またまた、、大げさなんだから〜〜」と気にもとめませんでした。私はもともと2キロくらいの間を行ったり来たりするのが普通なので、その2キロぎりぎりのところにくると、母は昔から「太ったね」と言うのです。でもいつも自然にまた2キロ減るのであまり気にしませんでした。ところが1年後に帰国してみてびっくり。私のOLの頃の服が全然入らないのです。体重計に乗ってみるとなんと7キロも増えていて、これは生れて初めての重い体重でした。OLの頃に気に入って買い、でもぶかぶかで着にくいので捨てようと思っていた夏のスーツがかろうじて入っただけです。この夏、1ヶ月間、ほとんどこのスーツで通すより他ありませんでした(;o;)。ただ不思議と、日本に帰っていた間に何もしていないのに、母の作ったものを食べていただけで1キロ落ちていました。でもアメリカに戻ってくる頃には切実に「体重を落とさなくちゃ」と感じたのでした。

もともとアメリカで生活すると、男性はやせ、女性は太る、と聞いていました。確かに当たっているような気がします。そこのところの分析は避けますが、私が太った理由はストレスからは来ていないと思います。それまでの私は、ストレスがたまったり嫌なことが続くと、むしろ食べられなくなりやせていたのです。

まず、日本から帰って気付いたことは「食器が大きい」です。たとえばヨーグルトをガラスの器に入れる時には、食器の大きさに合わせます。ところがこっちでもそれをやってみてびっくり、1回に日本での倍は無意識のうちにとっているのです。オレンジジュースも、コップに合わせると日本で飲む分の倍は一度に飲んでいます。食事を作る時もそうです。日本にいた頃はほとんど自分で作らなかったので(^^;、一人分がどれくらいになるのかよくわからず、食器に合わせて作っていました。また、最初の頃は電子レンジもなかったので作ってしまうと全部食べたりしていました。スプーンも大きい、お鍋も大きい、流し台も大きいし、野菜も大きい(ピーマン、なす、きゅうりは日本のものの倍)。そういう中にいると自然に一度にたくさん食べてしまうことに気がつきました。

次に周りの人がやせた太ったを話題にしない。これはわかるような気もします。こっちではすごく太っている人がたくさんいて、そういうことを話題にするのは失礼にあたるみたいです。やせているように見える人が「私、太った?」と聞くのも失礼だし、太っている人に「太ったね」と言うのも失礼なようです。前にちょっと話したアメリカ人から聞いたのですが、彼女(太め、でもアメリカ人にしては太っていない)が以前スペインに行った時、「周りが皆、太ったやせたの話をするので、そこにいるのがつらかった」そうです。でも日本人同志が話題にするのはこれとはわけが違います。日常会話でもあります。悪意なんてありません。で、私が日本に帰ったときはほとんどの人に「恵子、太った?」「恵子さん、変わったわね」と言われたので、私は初めて、自分が見た目にも太っていることを悟ったのです。母だけの言葉だったら気にもとめなかったでしょう。この環境にはとても感謝しています。皆が言ってくれなければ、私はダイエットをする気にはならなかったでしょうから。

最後にこちらの人はあちこちで食べている気がします。授業中もお菓子を食べたり、電車の中でも食べています。しかもおいしそうに食べるので、私もついつい食べたくなってしまうのです。体格の立派なビジネスマンらしい人が二人で歩きながらアイスクリームを食べていたりします。それで私も最初の1年は、お菓子を持ち歩くようになっていました。

恐らくこれらのことが、私を太らせた原因だと思います。そして私はダイエットをすることに決めました。どういうダイエットをしたかは明日の日記に書きます。m(_ _)m




4月13日(日) 晴れ
ヤードセール

ここでは、外の気候がだんだん暖かくなってくると『ヤードセール』が始まります。ガレージセールとも言い、それぞれの家でいらなくなったものに適当な値段をつけて、自分の家の庭で売るのです。雪のない間、春から秋にかけては必ずどこかでやっています。売っているものは、大きいものから小さいものまで、主に飾りや使えないもの(^^;を中心に、いろいろです。以前、山本山の海苔の空き缶が3ドル(かなり高い)で売られているのを見た時にはびっくりしました。でも「家に飾ろう」と思って買ってしまう人だっているのかもしれません。

私も散歩やドライブの途中にヤードセールの張り紙をみかけるとよく立ち寄ります。私の部屋にあるものも、かなりこのガレージセールで買ってきました。机、棚、椅子、写真立て、イヤリング、電気スタンド、服まで試着して買ってしまったこともあります。去年探していたのは留守電だったのですが、見つからずに自分で買いました(^^ゞ。今探しているのはCDプレーヤーですが、見つかりそうにありません(^^ゞ。やっぱり電気製品や新しいものはなかなか見つからないものです。(^^ゞ

このヤードセールですが、私はとてもいい習慣だと思います。でも、手放しで「好き」とは言えない部分があります。それは、値段がついていないことです。「これいくらですか?」と聞くと逆に「いくらなら買う?」と聞かれ、戸惑ってしまうこともあります。それに日本での習慣として、聞いたら買わなくちゃいけない、という感覚が頭の中に残っているので、あれこれ値段を聞く気にはなれないのです。だから気に入っても、値段を聞かずに高そうだというだけであきらめてしまったりもします。また一つだけ欲しいのにセットで売られていることも多く、残念な思いをすることもありました。

1年半くらい前、友人のシャシュから「ヤードセールをするので手伝ってくれ」と言われました。私は面白そうだったのでもちろんOKしましたが、彼女の家はかなり奥まったところにあり、どこでやるのか不思議でした。でも当日行ってみると、かなりあちこちに張り紙と矢印があり、これなら人の目にもつくだろう、という感じでした。

実際始まってみるとびっくり。本当にあれだけの張り紙で次から次へと人が来るのです。誰もいない時間帯はほとんどありませんでした。ガレージセールは毎週あちこちでやっていて、私は珍しいので見かけると立ち止まりますが、ここに住んでいる人には珍しくもないので、どちらかと言うと売り手の自己満足で終わる種類のものだと思っていたのですが、そんなことはないようです。アメリカ人にとってはガレージセールに行って掘り出し物を探すのは、一種の趣味や習慣になっているのかもしれません。

そして値段のことですが、やはりシャシュも全部に値段はつけておらず、買い手側は聞いてきます。会話を聞いているとそのほとんどが”交渉”なのです。たとえば、お客が「3ドル(なら買う)」と答えると、「2ドル50」と言い、「じゃあ買わない」と帰ろうとすると、すかさず「OK」と言い、相手も帰るそぶりを見せていながら、すぐ戻ってきて買うのです。また、「2ドル50」と言っているのに2ドルだけ払って帰ろうとし、相手が不満そうでもないと確認して本当に持って帰ってしまったりします。逆に「こんなに汚れてるのにこの値段はおかしい」とか、「あっちのヤードセールではいくらだった」と言ったりします。話の内容を聞いているとかなり殺伐としていてこわいくらいなのですが、ところどころに冗談が入ってそのたびにまわりが大笑いになるので、固い雰囲気はありません。それから交渉中の引き際も鮮やかで、喧嘩や言い合いになることは一度もありませんでした。

この光景を見ていて思ったことは、アメリカ人は自己主張もはっきりしているけれど、人との兼ね合いがうまい、と言うことです。そしてそれは決して持って生れたものではなく、長い生活の中で身についたものだと思うのです。私がこういうことはできないと感じるのは私が謙虚だからでなく、またいくじなしなわけでもなく、ただ育ってきた環境の違いのような気がします。私はこういう人たちをうらやましいと思い見習ってみたいとも思いますが、やはりとても難しく溶け込むことはできないと感じます。日本にいた頃は、アメリカ人はどちらかと言うとずうずうしく冗談でごまかす、というイメージを持っていました。でもアメリカ人も日本人と同じように相手に気を遣っていることに気がつきました。ただそのやり方が、日本人は最初から気を遣うのに対して、アメリカ人はぎりぎりで気を遣う、というような形になって現われるのではないかと感じました。

ちょっとお説教くさくなってしまいましたね。(^^ゞ




4月12日(土) 曇り のち 雨
美容院

私は日本にいた頃から、美容院は面倒くさくてあまり行きませんでした。1年に一度か、せいぜい半年に一度くらい(^^;。。私の(日本で)いつも行く美容院の人もそれを心得ていて、私が行くと当分いじらなくてもいい髪型にしてくれたりしていました。でもここに来て半年たった頃、ふと「アメリカの美容院ってどんなものなんだろう?」と思い立って、地元の美容院に行ってみることにしました。当時の私のまわりの留学生は、だいたいニューヨークまで行ってお気に入りの美容師さんに頼んでいました。

予約してお店に行ってみるとまず、シャンプーをしてくれました。いろいろ話し掛けてくる変なお兄さんという感じでしたが、しきりに「私の髪が長くてきりにくい」と言っていました。私は髪の毛が多い上、伸びるのが早いので、一度に20センチくらいは切ってもらうのが普通なのです。10分くらいたったところで、「長すぎて切れない、立ってください」と言われました。私はわけがわからないまま立つと、それでやっと自分と同じ高さになったので切りやすくなったのか、ジョキジョキ切りはじめました。結局、残りの20分くらいずっと立たされたままでした(^^;。

そして終わるとなんと「25ドル」と言われました。電話で予約をとったときは「13ドル」だったので聞いてみると、私がシャンプーの時に"No"と言わなかったからと言われました。結局シャンプー代は別だったのです。しかたなく払って帰ってきました。あとでアメリカ人の友人のシャシュに「日本だったら(シャンプーは)最初に確認してくれる!」と文句を言うと「なぜ払ったのか?」と聞かれました。「結局はシャンプーしてもらったから」と言うと、「それは『相手が勝手にやったのだから』と言って払ってくるべきではなかった」と言われました。

彼女は以前、日本で日本人と食事をした時に、ウェイターが間違えたオーダーを持ってきてしまい、最初気付かず箸をつけてしまってから「頼んでない」と言って、正しいものを持ってきてもらったことがあるそうです。一緒にいた日本人は両方にお金を払ったのでびっくりしたそうです。「いくらこちらが食べたとはいえ、間違えたのはウェイターなのだから払う必要はない」と言うと、「でも食べたのだから」とそこにいた日本人たちは答えたそうです。「その時と同じだ」と、逆に私の行動に驚かれてしまいました。そして「少なくともアメリカでは、実際『そのことをしてもらったか』ではなく『こっちにしてもらう意志があったか』行動して問題ない」と言われました。

このことがあったので、次に見つけた美容院では、「髪を『切る』だけ、洗わないで」と最初に言いました。すると、"Ok,ok" と言って私を座らせ、ろくにとかしてもくれず、いきなり切りはじめました。おおげさではなく『ジョキ、ジョキ、ジョキ、ジョキ・・・・』と、左から右に一度だけ、10回くらいはさみを動かして「終わり」と言われました。私は聞き間違えかと思い、振り向くとにこにこしています。それでお金だえけ払って帰ってきたのですが、ぜんぜんそろっていず、そのあと、私は何の知識もないのに自分で切り揃えてしまったほどです。

。。。私が体験したこの出来事は普通なのかどうかはわかりません。が、これ以降はアメリカでは切ってもらわず、日本に帰ったときにカットすることに決めました(^^;。ただ、これらの美容院は、誰かのお勧めというわけではなく、散歩の途中に見つけただけだったので、もしかしたらとんでもないところだったのかなぁ、、と思ったりもしています(^^;。
お知らせ

事情により、表紙のカウンタをとりはずすことになりました。800まで記録していました。また時間ができたら、カウンタ探しの旅にでるつもりですが、しばらくはこの状態でやっていきます。今までご協力いただいた皆様、ありがとうございましたm(_ _)m




4月6日(日) 晴れ のち 曇り
イースター(97.3.30)

先週の日曜日はイースターでした。イースターは日本語で復活祭。春分の3月21日以降の満月の後の最初の日曜日(ややこしい(^^;)に、キリストの復活を祝う日です。キリスト教徒にとってはクリスマスと共に重要な日です。ダグはキリスト教徒。パーティをすると言うことで、私をハウスメートのキティとジャクリンと共に招待してくれました。大きい机を皆が囲んでのお食事です。

メンバーはダグとケィティ、ダグの弟のドナルド(ドン)と息子のマイク、それからケィティのお母さん、ペニーです。実はこのメンバー、この前のクリスマスに私がどこにも行かないで家にいたので、急きょ誘ってくれた人たちでした。ペニーは「またこのメンバーでできるなんて嬉しいわ」と喜んでくれました。

11月には感謝祭があって七面鳥を食べます。これはアメリカ人がアメリカを作った祖先に感謝する日で、宗教には全く関係ありません。でも、感謝祭で食べるものとイースターで食べるものはなんとなく似ています。かぼちゃやポテトなど、昔からこの土地にあったもの。イースターは七面鳥の代わりにハムを食べるのが主流だそうです。今回はペニーが蜂蜜ハム(?)を持ってきてくれて、ハム本来のしょっぱさに甘い蜂蜜の味が混ざっていて、とてもおいしかった(^-^)。他にはブロッコリーのあえもの、ゆでたポテトなどと一緒にパスタも出ていたました。そして、ケーキとコーヒー。この前のクリスマスの時は、私が「コーヒーをください」と言うと、「日本人がコーヒーを飲むの?」とダグ以外の人には驚かれました。私は「私の両親でさえも飲む」と言ったら更に驚いていました。

キティと私は2年半ここにいますが、アメリカ人とイースターを祝うのははじめて。いくつか質問してみました。イースターバニーとかイースターエッグの由来は、サンタクロースと一緒で誰もはっきりとは知らないそうです。でも、卵を使うのは、おそらく季節が春で芽生えの季節だからだそうです。卵はこれからひよこが生まれてくるものなので。私から見ると休暇があったり家族が集まったりと、感謝祭とそっくりなのですが、彼らにとっては大きく違うそうです。どちらかと言えばクリスマスに近いのだそうです。でもイースターではプレゼントの交換はないそうです。

食事が終わって、ペニーはダグと結婚した頃の写真を見せてくれました。ペニーはニューヨークの方の病院で働いています。(ダグや)ケィティを除くと家族はいないそうで、病院でも家族のいない人には惹かれるそうです。ペニーは40歳になってから、イースターにはなにか自分に宝石をプレゼントすることにしたそうで、私たちにも見せてくれました。真珠とか名前のわからない石がたくさんありました。

今日からサマータイムが始まります。時計を1時間早めます。まだところどころ雪は残っていますが、ようやく春に近づいてきた感じです。\(^^@)/

お知らせ

4月になりました。以前、この日記に書いた留学ジャーナルがそろそろ発売になると思います(日にちは知りませんが)。時々聞かれるのですが、私が掲載される(はず(^^;)なのは、季刊春の特別号です。月刊の方ではありません。お間違いのないよう。。m(_ _)m



4月5日(土) 晴れ
ダグのお母さん (97.4)

ここの子どもたちは今、春休み。オーナーのダグとケィティはフロリダに行っています。ニューヨークにとってフロリダは休養地。実に多くの人がフロリダへ行きます。この時期には私のまわりでも必ず一人はフロリダへ行っている人がいるくらい。また、私の友人のアメリカ人には、知り合いがフロリダに住んでいると言う人がほとんど。「知り合い」のほとんどが「おじいさん、おばあさん」です。だからフロリダの平均年齢は高いんじゃないかなぁ。。

そしてダグのお母さんもフロリダに住んでいます。ダグのお母さんは去年の5月に1ヶ月くらいここに来られていました。実はその一年前、だんなさん(ダグのお父さん)が亡くなり、お母さんはかなり気を落とされて、ダグが呼んだそうです。69歳なのですが、とてもきれいで、日本でもやっているテレビ番組『ジェシカおばさんの事件簿(Muder, she wrote)』の主人公、アンジェラ・ランズベリー(って読むのかな?)に似ています。私が「ジェシカに似ていませんか?」と聞くと「皆にそう言われる」と笑っていました。

その後、ダグが他の兄弟もニューヨークにいることもあり、こっちに住むように勧めていました。私の隣の部屋が開いた時、人を入れずにお母さんを待っていたのです。私もてっきりこっちに来られるものと思っていました。時々、ダグに「お母さんはいつくるの?」と聞くと、最初「来月だよ」と言っていたのが、いつまでたっても「来月」で、とうとう「それがわからないんだ」と言うようになりました。

ダグのお母さんがこっちに来るのを渋っていた理由が先月わかりました。フロリダでお相手を見つけて、結婚することになったのです。ダグのお父さんが亡くなってから、身体のどこかが悪くなり、リハビリに通っていたそうなのですが、そこで知り合ったのだそうです。お相手は62歳の人で、ローカルの新聞に写真入りで載っていました。確かにこっちにいた時は、沈みがちな雰囲気があったのですが、すごく楽しそうで幸せそうでした。

普通の家庭は、アメリカでは(意外なことに)、急な結婚を良しとしないそうです。これは他の人から聞いたのですが、まともな家庭では婚約期間は1年以上だそうです。でも、ダグたちは、二人の先がどれくらいだかわからないので(^^;、早く結婚式をあげるように勧めていたそうです。それで、その日が”今日”となったのです。ダグのお父さんが亡くなってからは、かなり落ち込んでいて、皆心配していましたが、こういう結果になって、皆よかったよかったと言っています。

どんな結婚式なのかは聞いていないので、ダグが帰ってきたらまた報告します。「結婚式をあげる」という以上、ウェディングドレスを着るのかな?いくつになってもいろんなことがあって楽しそう。

余談ですが、ダグのお母さんは今の日本の時代のような時代(ややこしい言い方(^^;)を生きてきたのではないかという気がします。ダグと話していると、「さすがアメリカ」と新しいものを感じることが多いのですが、ダグのお母さんはもっと私に近いような気がするのです。たとえば、料理を作る時にも「栄養」のことをよく口にするし、「(だんなさんが亡くなったことで)”寂しい”というと、皆が心配するから言わないのよ」と、よく私やキティに言っていたのを思い出します。


お知らせ

どうでもいいことですが(^^;、表紙のタイトルの順番を並べ替えました。更新の多い「週末日記」を一番上にして、日記からも「ミニアルバム」に飛べるようにしてみました。m(_ _)m



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