日記’98

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9月 7日(月) 晴れ

引越し(1)


この週末に引越ししました(^^)

ここ、シリコンバレーは物価が高く、私の留学時代からの持参金では、到底やっていけそうにありませんでした。知り合いもなく仕事もないまま飛び込んできたので、高いアパートに泊まるのは覚悟の上でした。

だから両親は、私の持参金が底を着いたら援助してくれるということを約束してくれていました。

長い留学生活の中で、私がとてもラッキーだったのは、両親が私のことを完全に理解していてくれたことです。私には常に、何かがあれば日本に両親がいるというバックグランドがありました。

同じ留学生の中には、両親の理解がまったくなく、そんな中でひとりでやっていくというのは、失敗するかもしれない危険を常に伴う留学生活では、とても心細いものです。だからそういう日本人に出会うと心が痛むと同時に、ほんとうにえらいと思います。

また、両親が病気など周りの環境から、日本を離れられない人もたくさんいると思います。留学してきても、親が病気になって泣く泣く中断して帰国、という人も見てきています。

留学中、アメリカ人、特に語学学校の先生たちと話すとよく「恵子はとてもラッキーね」と言われてきました。

でも私は、

「違う!私は留学前の一年間、お金を貯めることだけに専念してきた。同年代の周りがどんどん結婚していく中、映画も行かない、洋服も買わない、外食もしない、それがとてもたいへんだった」

とか、

「私はいつも『いつか留学するかもしれない』と思って生活してきた。大学時代は留学できるだけの成績をキープするよう心がけていた。英会話学校だって行ってた。」

「私はラッキーなんかじゃない。自分で進めてきた」

と言ってきました。

けれども、どんなに自分の力でやってきたって、やむない事情で帰らなければならない人をたくさん見てきました。

自分の母国から抜け出してきた人もたくさんいます。自分の力で学費をつくって、ビザのやりくりをして、でも次から次へと心配しなくちゃいけないことがたくさんある、そういう人たちとの会話で、私の(甘い)切りつめてきた話なんてできず、言葉を失うこともよくありました。

自分の力なんてどこにもないんです。単にラッキーかどうかそれだけです。

な〜んにも持たずにここに来た私が、今日、引越ししてやっと自分の部屋を持ちました。

私がここまで来られたのは、おおもとに、両親というバックがあるおかげです。私はとてもラッキーです。両親にはほんとうに感謝しています(^^)


...といいつつ、はっ...と気がついたことは、母の誕生日を忘れてました(^^;...引越しでバタバタしてたもんね(^^;...(^^;(^^;(^^;....5日も過ぎた今日、すっごく面白いカードを買ったからね〜〜(^-^)/~~~~~待っててね〜〜(^^)





* 先週忘れてしまったAmerikan Jokesの更新もしました(^^)



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