留学日記’98

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1月4日(土) 曇り、暖かい

マシュー


私はここに来た年、語学学校(ESL--English as a Second Language)に8ヶ月いました。私のいたクラスでは、しゃべったり聞いたりする勉強のため、誰でもいいからアメリカ人に話しかけてその内容を書き出す、という宿題がよくありました。私は知らない人に宿題のために話しかけるというのが、相手に失礼な気がしてどうしても苦手でした。

そんな時、マシュー(Matthew)と知り合いました。彼は日本や日本人に興味があって、図書館でよく会う私に話しかけてきたのがきっかけです。そのあと半年間、私はアメリカ人に質問しなくちゃいけなくなると彼に話しかけていました。

彼は片耳が聞こえません。英語では、partial deaf と言います。私が間違えて彼の聞こえない方の耳へしゃべりかけると、自分で "I'm deaf."と言って反対側に来るように言いました。

「自分は名前を日本語(漢字)で書ける」と言って、“馬修”と書いてくれました。前に日本人が“マシュー”という名前に当てはまる漢字をたくさん書いてくれたことがあって、馬が好きだから、と自分で選んだそうです。一生懸命書く練習をしたそうです。

Art (芸術)専攻で東洋の美術に興味があり、「いつか日本に行きたい」と言っていました。私も気軽に「遊びにおいで(^^)」と言いました。

ある日マシューが「今度の宿題でデッサンをするのでモデルになってくれないか」とと私に聞きました。彼は長い髪の東洋人をどうしても描きたかったそうです。私はもちろん、OKしました。

私の家に来たのはいいのですが、早速私のはいているジーンズはよくないと言って、私のクロゼットの中から自分でワンピースを選びました。髪の毛を強調するために、身体のライン(女性だとわかるもの)が出る服がいいそうです。座ったり立ったり、いくつかのポーズをとらされましたが、確かに髪がどう流れるかばかり気にしていました。

やがて描き終わり、出来上がったものを見せてもらうと、ほとんど髪ばかりを強調していました。顔は髪に隠れるような描き方ばかりでした(^^;。うつむいてるところや、横を向いているところ。2時間もすると満足して帰っていきました。

その後、先生がその絵をとても気に入ってくれた、と喜んでいました。

そして絵が戻ってきた時、私はその絵をもらうはずだったのですが、なんと絵を置いてあったアトリエが雨漏りで水浸しになってしまったとのこと、絵は全部駄目になってしまったそうで結局もらうことはできませんでした。

私は残念だったけど「まだアメリカに来たばかりだし、これからこういうことはたくさんあるだろうな〜」とあっさりあきらめました。でも、その後3年間アメリカで暮らしても、誰も私の絵を描いてくれるという人はいません。というより、東洋人に興味のあるアメリカ人というのがとても少ないことに気がつきました。

そして最近になって、彼との出会いがとても貴重だったことに気がつきました。どうして東洋人に興味があるのか、黒い髪を描きたかったのか、日本に来て何を見てみたいのか、そういうことをもっと聞いてみればよかった、と残念に思います。

でも今となっては、彼と会うことは二度とないでしょう。住所の交換をしないのは珍しくもなく、彼はそのまま卒業して行きました。

アメリカに来てから、そういう出会いがたくさんあります。







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