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'*★ 2004年F1アメリカグランプリ観戦(インディアナポリス) #2 ★*'


..*..*.. 2004年7月11日(日) 晴れ ..*..*..


6月20日(日)

グランプリ当日。道が混むのはわかっているため、あらかじめ昨日、下見をしておいた道路を通ってスムーズに到着。

9時半には、私たちの席のBスタンドに着きました。この席は、ホームストレートを後ろから見ることのできる位置で、ちょうどオーバルのカーブの角のあたりです。この時間だとまだ人はあまりいないので、開いている席に座って、飲み物や食べ物を買って待っていました。

去年、ギリギリに買おうとしたために時間がかかってしまったターキーレッグ(Turkey Leg)も早めに買って、準備は万端。昨日うまく使えたLive Timingもセットしました。

元F1ドライバーのジャッキー・スチュワートを先頭にパレードがあり、雰囲気も盛り上がっていました。開始の合図の飛行機とともに12時がきました。アメリカ国歌を歌うときには全員が起立し、だいたいの人が帽子もとっていました。

パレード手を振っているのがジャッキー・スチュワート


昨日の予選の順位通りに各ドライバーはスターティンググリッドにつき、いよいよ、マシンを暖めるフォーメーッションラップです。順番通りにサーキットを1周します.....とこのときにハプニングが。ウィリアムズのモントーヤが自分のマシンを降りて走っているではないですか。どうも、エンジンがかからず、スペアカーに乗り換えようとしていたそうです。

このあと何事もなかったかのようにモントーヤはスペアカーに乗り換えてスタートするのですが、結局、53周めでモントーヤはブラックフラッグ(失格)を振られてしまいます。あとで知ったのですが、このスペアカーへの乗り換えは、フォーメーションラップがスタートする15秒前に終えなくてはならないそうです。モントーヤは、乗り換えたのは12秒前。たった3秒でレースがふいになってしまったのです。

正直、この処置は、誰もが怒ったと思います。レース終盤になってからのブラックフラッグが振られたこと、それまで「審議中」の合図もなかったのです。ほとんどの観客は何が起こったのかわからなかったのではないかと思います。これが、ミハエルだったら、きっと失格になんてならなかったのではないか、と思えるくらい、モントーヤに厳しい処置、フェラーリには甘い処置、誰もがそんな風に思ったのではないでしょうか。

さて、フォーメーションラップが終わり、いよいよスタート。

なんと1コーナーで数台がぶつかってしまいました。私たちの席からは1コーナーは見えないので、映像とアナウンスを聞くしかありません。私はここで、佐藤琢磨がぶつかってリタイアしたと思い、Live Timingを見る勇気がなく、がっくり座り込んでしまいました。

ところが、琢磨は、ポジションを1つ落としたものの、4位で走っているではないですか。ほっとしました。

スタート前の準備客席はフェラーリファン多し

国家斉唱後、開始の合図フォーメーションラップ
バリチェロ、ミハエル、琢磨の順

いよいよスタート4位の琢磨

そのほっとしたのもつかの間、琢磨以外で応援しているルノーのアロンソが単独クラッシュ。また、イエローフラッグ(追い越し禁止)が出ました。うちはもともとルノーを応援していて、このとき、アロンソはスタートで9位から3位へと、強烈なロケットスタートを決めていて、期待が大でした。なので、この単独クラッシュは、ちょっと理解できませんでした。

そして再開。このとき琢磨は3位です。

ラルフ、クラッシュの直後
が...また、ウィリアムズのラルフ・シューマッハのクラッシュ。このクラッシュは目の前で見ました。破片が飛び散るのが見えました。エンジン全開の最速のスピードを出していたときのクラッシュのため、破片はかなり飛び散っていました。

なかなかマシンからおりて来なかったのですが、ラルフはこういうことがよくあるので、最初はそれほど心配はしていませんでした。が、本当にまったくおりてこないので、さすがにみんな心配そうにしていました。

10日後に発表されたのですが、ラルフはこの事故で背骨を2カ所損傷し、おそらく、今年のグランプリへの出場は無理となってしまいました。私がF1を見始めてから3年、こんなに大きな事故は初めてです。どのドライバーも、クラッシュしてもいつも平気な顔で、次のレースには出ていたので、ラルフもそうだと思っていました。

コースがめちゃくちゃになった場合、レッドフラッグ(レース中断)が振られることがよくあります。このときも、あまりの破片と、長いイエローフラッグ(追い越し禁止)のため、レッドフラッグが振られるのではないかと思いました。

超スローの琢磨たち隊列ができる

破片を片付ける間はイエローフラグイエローフラグ中、清掃車も出る

あとで発表されたのですが、アロンソもラルフも、クラッシュの原因はパンクだそうです。一番最初の多重クラッシュのときの破片を二人とも拾ったのではないか、ということでした。

イエローフラッグでペースカーが出ているとき、琢磨(や他のドライバー)が破片を拾わないか、とヒヤヒヤしていました。

でも、何事もなく、レース再開。これ以降は、本当に日本人にとって楽しいレースでした。なんと言っても、琢磨のオーバーテイク(追い越し)に次ぐ、オーバーテイク。

佐藤琢磨の走りは、あの穏やかなしゃべり方とは正反対で、ものすごく攻撃的です。速さはもちろんのこと、「まさかここで」と思うようなところでオーバーテイク(追い越し)を試み、完走できずに自ら自滅するレースもありました。また、他のドライバーから批判されることもあり、今回もちょっとヒヤヒヤしていました。

レース後追い越しされたドライバーたちのコメントを読むと、「琢磨のスピードの方が早かった」「あれはしょうがない」と、琢磨を責めるようなコメントはなく、本当にこのときは完璧だったのではないかと思います。ここにも琢磨自身のコメントがあります。

私たちの席からは、表彰台は見えないので、終わってすぐ、表彰台の方向へと走りました。そして、日の丸を見ることができました。

その後、おととし見つけた、インタビュー後のドライバーの見える席へ行こうとすると、なんと、今年はそこへ入るのが禁止となっていました。うぅ、ショック。

琢磨たちが見えるかも...という期待を持って、人が集まっているところへ行ってみました。そこで、アトランタから来たという日本人グループと話しました。彼らは日の丸とプラカードを持っていて、昨日の予選のあと、琢磨から直接サインをもらったそうです。うらやましい.....

琢磨3位。日の丸!シャンパンファイト!

記念撮影琢磨たちを待つ

インタビューの風景琢磨

去年と一昨年の帰りの飛行機がたいへんだったので、今回はグランプリ当日もホテルに宿泊することにしていました。それで、ダウンタウンの方で夕食をとったのですが、途中、ルノーのエンジニアがホテルに帰ってくるのを見ました。レースが終わったのが2時半頃。戻ってきたのは7時半。ごくろうさまでした。


6月21日(月)

お昼くらいの便で余裕に帰途に着く予定が、なんとシカゴ周辺で台風だそうで、飛行機が遅れに遅れました。帰りはインディアナポリスからシカゴ、そしてサンノゼへ行くはずが、シカゴへの便が私たちを載せたまま2時間近く出なかったのです。

でも、いいことがありました。ウィリアムズとマクラーレンのクルーが同じ便だったのです!昨日、ルノーのクルーを見たときは私たちはBARの服を着ていて、今日はルノーの服とキャップをかぶっていたので、声をかけるのははばかられたのですが、遠くから写真を撮っていると、ニコニコしてくれたので、話しかけてみました。

ウィリアムズのクルーは50人くらい全員がいたようです。飛行機での席が近かったので、いろいろお話することができました。みんな明るくてさわやかで、びっくりしました。1週間前のカナダGPから直接、インディアナポリスへ来たそうですが、観光などする時間はなく、月曜日に移動、火曜日から日曜日まで休むことなく働いていたそうです。



マクラーレンのクルーは、服にロゴが入っていないので、ずっとわからなかったのですが、夫が隣の席になり話をして判明しました。この人もさわやかで、別れるときに名前を聞いてくれて、「また会いましょう」と言ってくれました。

その後、シカゴで乗り継ぎの便は出てしまったあとで、次に予約した便も大幅に送れ、午後5時くらいにサンノゼに到着する予定が、夜中の12時になってしまいました。





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