彼と彼女-思い出したこと-(2)


2000年2月13日(日) 晴れ




Yたちはよく、パーティを開きました。そして、私や何人かを招待してくれていました。

いつも15人くらい集まるそのパーティでは、適当にいろんな人とおしゃべりをしていました。

Yは、カメラマンです。と言っても、留学生でカメラをやりたい人はたくさんいるので、そんなにめずらしいことではありません。でも彼の場合は、少し仕事があります。韓国の雑誌社にニューヨークの写真を提供して、多少のお金が入るそうです。そして彼はニューヨークを撮りたいので、他の場所に移る気はないそうです。

とにかく今は英語の勉強をして、好きなニューヨークの写真を撮って認めてもらう、それが彼の希望です。

私は当時、特に何の希望もなかったので、彼の話を聞くのが好きでした。エネルギーを与えてもらえるような気がして。彼は同じ年だし。そしてもちろん、彼の方がいろんなことに真剣でした。

Yは自分の撮った写真をたくさん見せてもらいました。彼は芸術家肌で、まともな風景や人物の写真が半分と、わけのわからない写真が半分ずつありました。そのひとつひとつを見せて説明してくれました。私はただ、ふんふんと聞いているだけでした。

重いカメラを持ち込んで、1週間、山の中で暮らしたこともあるそうです。

「Yの生き方だったら、パートナーがいた方がやりやすんじゃない?」

私は、カメラ仲間がもう一人いた方がいい、という意味で言ったのですが、

「俺は一生、結婚しないよ。こんな人生だったら相手がかわいそうだよ」

「そんなことは今、考えなくていいんじゃない?今はやりたいことをして、そのときが来たら考えれば」

「いいなぁ、日本人は。そんな風に言ってくれる人は俺の周りにはいないよ」

「日本人だからってわけでもないと思うけど。そう思う人はどこにでもいるし、違う考え方の人もどこにでもいる」

「でも、韓国人はそんな風に思わない。俺は韓国に戻ったら『変人』扱いだよ」

「(笑いながら)ねね、日本に帰ったら、私のことも変人扱いする人はたくさんいると思うよ!」

そして、Uのことがちょっと気になったので、

「だけど、相手がいる場合は、一人では決められないよね」

「うん、でも、俺のガールフレンドは俺のこと、わかっててくれるから」

「いいなぁ、Yは幸せものよ!」

Yは、Uの名前を出さなかったので、私も特に二人のことは言いませんでした。

...私たちは他にも、いろんな話をしました。Yは歴史に詳しく、他の中国人も含めて、自分たちの国の話をよくしました。お酒が入って、ふざけた話も、真面目な話もしました。

あるとき、ふと、Yは言いました。

「知ってる?韓国は、中国と日本から4000回ずつ攻撃されてるんだよ。」

みんな、「それは数え方にもよるよね」などと口々に言っていましたが、Yはさえぎって、

「国を代表する『赤』の色を考えてみて。中国の『赤』は勝ち誇ったような赤色だよね、誰にも負けないって主張してるみたいな。日本の『赤』は透明感があるよね、純粋な、何にも染まってませんっていうような。でもね、韓国の『赤』は、どす黒いんだ、悲しみの色なんだ。深い悲しみの赤なんだ。回数なんて問題じゃない。だけど、攻撃され続けたことは事実なんだ」

いつものふざけているYとは違う真剣な眼差し、私たちは黙ってうつむいていました。










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