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更新履歴 (2000- )
更新履歴 ('96-'99)

留学中のコンテンツ
大陸横断(東海岸→西海岸)

留学中(97.2-98.5)にこのホームページを立ち上げました。下記のリンクの他に、『アメリカの生活(日記)』の中に、留学中の日記と、留学に関するアドバイスもあります。

ミニアルバム in New Yorkミニアルバム(特別版)
留学中の写真をスキャンして、週に一度、アップしていました。「特別版」は、留学生活を終えて、ニューヨークからカリフォルニアへ車で大陸横断したときの記録です。

American Jokes
クラスメートから回ってくるメーリングリストのジョーク集。面白いものを毎週、掲載していました。英文と日本語訳で、全部で75個載せています。

ディズニー/アニメ
ベビーシッターをしていたので、子供たちとビデオをよく見ました。私なりの感想をまとめています。

マンハッタンで遊ぶ
マンハッタンへはバスで2時間。情報を集めていました。もうずいぶん古いですが...

アイコン集
ご自由にお使いください。


 4年間の留学生活
初めて「留学したい」と思ったのは中学の時。でも何の行動も起こさないまま、高校、大学、そして就職。でも27歳の時にやっぱり決意。それからお金を貯めたり、計画を立てて29歳の時に実現。最初は強い目的もないまま語学留学で終わるような気がしていたけど、結果的に4年間続きました。私の留学準備等に関する詳しいことは「日記」の「留学に関すること」をご覧ください。
 留学先: ニューヨーク州
留学先はマンハッタンから北に2時間くらいのところにある、ニューパルツ(New Paltz)という小さな町でした。自然が多く気に入っています。マンハッタンにもバス1本で簡単に行けます。3度の引越しで、やっと落ち着いた家はここ。私の家・冬私の家・初夏です。2年半、住みました。
 留学中は貧乏学生
日本人でチェロキー(車)に乗っていたのでお金があると思われがちでしたが、実際、貧乏な学生でした。OLをしていたころの貯金をすべてつぎこみましたが、どれくらいの期間になるかわからないままはじめた留学生活だったので、かなり節約していました。アルバイトにはベビーシッターをしていて、ここで入ってくる金額が私の生活費の一部です。マクドナルドが食べられる日はごちそうでした。1年間の服の予算はたった25ドル(3000円くらい)。これでバーゲンで、スカート2着とセーター2枚買えたときはとても嬉しかったのを覚えています。ニューヨーク州の田舎だったので日本に比べて少し物価が安く生活しやすいとも言われているけど、その分収入(ベビーシッターの平均金額が都市部に比べて安い)も低いのでたいへんでした。
 コンピュータ・サイエンス
専攻はコンピュータ・サイエンスです。私は英文科を卒業したあと、コンピュータの会社で6年間働きました。在職中、新しい機種がでたり、ソフトが開発される度に「今度はここが違う、これがすごい」などと皆が言い合っているのを聞いても、私にはちんぷんかんぷんでした。その頃から「コンピュータってちょっとやそっとじゃわからないものだなぁ、、いつかきちんとやってみたい」と思っていました。それがやっと実現しました。最初は興味のあるコースをいくつかとっただけでしたが、周りのアドバイスもあり「もう少しもう少し」と思っているうちに自分の専攻にしてしまいました。
 大学院
正式に大学に受け入れてもらえた方がやる気もでると思い、あちこちに相談に行って決めました。最初の1年間は語学学校(ESL)、次の1年は大学院に受けいれてもらうための大学(undergraduate)でとらなくてはならない必修科目(pre-requisite)の受講、いくつか試験を受けたあと、3年めと4年めは大学院に在籍しました。私の学校(ニューヨーク州立大学ニューパルツ校: State University of New York, College at New Paltz)は、こちらです。
 留学生活が終って
94年7月から98年5月の4年間のニューヨーク州での留学生活が終って、ここ、カリフォルニアのシリコンバレーに引っ越しました。ニューヨークからカリフォルニアへ5日間かけてドライブしてきたときの様子はこちら。98年6月以降の出来事は日記につづっています。
 ゼロからのスタート
学位をとる前の年、日本に帰っていくつかの会社を回って、コンピュータサイエンスの分野での、経験のない30代の女性の就職はかなり厳しいと感じました。「私は年だから、就職が難しい」というと、周りのアメリカ人には「信じられない、その若さで」と言われました。次第に「こっちならまだチャンスはあるかも...」と思い始めました。だから、シリコンバレーに渡りました。

キャリアチェンジ---1番つらかったのは、私と同じ境遇の仲間(英文科からコンピュータサイエンスに専攻を変えた人)がいないこと、お金もなく、仕事もなく、家庭もない...仕事を得ることの難しさ、その後の不安、何もないこと、ときには絶望的になりました。「自分で選んだ」ということは心の支えにはなりません。たったひとつ心がけたことは常に「楽しい」と感じること。「苦しいのは今だけだ」と思ってしまったら、いつまでもいつまでも「苦しいのは今だけだ」と思ってしまいそうで。だから、少しでも「楽しい」と思えるときには思いっきり楽しむようにしました。33歳で、文字どおりの「ゼロからのスタート」でした。