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'*★ チェロキーの事故のこと(2) ★*'


..*..*.. 2003年2月23日(日) 晴れ ..*..*..


(前の日記より)

私は初めてのことだったので、何がなんだかわからなくて、警官の言う通りにしていました。すると、牽引車が来て、私の車を乗せてくれました。住所を言うと、家までつれて帰ってくれました。

私は、ほとんど何もしないで、ただ状況を説明するだけでその日は終わったわけです。

私の身体はなんともありませんでした。警官の人も「丈夫な車でよかったね」と言ってくれました。

その日の夜、保険会社に電話して事故を起こしたことを留守電に残しました。

次の日はタクシーで仕事に行きました。仕事を休むということは私の頭にはありませんでした。すると、保険会社から電話がかかってきて、前日に警官に話した内容と同じことを聞かれました。私が何か話すたびに、「どんなに恐かったでしょう」とか「あなたのつらさわ想像できないわ」と言ってくれて、ちょっと気が楽になりました。このときは、私の身体に支障がないかを念を押して聞かれました。そして「今なんともなくてもあとでおかしくなるかもしれないから、そうしたらすぐ連絡するように」と言われました。

同時に、私の保険は、こういう事故が起こった場合、1か月間無料のレンタカーができる、と言われ、その日のうちにレンタカー屋の人が来てくれて、手配をしてくれました。

それで、私は1か月間レンタカーを使っていました。

アパートの駐車場に停めてあった壊れたチェロキーは、私が「知り合いのメカニックはいない」と言うと、保険会社が紹介してくれて、保険会社の指定するメカニックのところに牽引してもらいました。

その次の日、保険会社の別の人から電話があって、また同じことを説明させられました。

その3日後くらいに、メカニックから、私の車は「Unrepearble(修復不能)」と言われました。それなら、と廃棄処分にしてもらいました。あとになってよく考えてみると、修復不能というのは、私の保険がカバーする範囲内では修復不能、という意味だったようです。だから、私が自費を出せば修復はできたのかもしれません。その辺のことが何もわからないまま、全部ひとりで「廃棄」を決めてしまいました。

その3週間後、保険料が全額戻ってきました。チェロキーを買ったときの金額です。チェロキーを買ったときの金額からはチェロキーの価値は落ちているので、金銭的には少し得したかもしれません。

そのお金を持って、レンタカーが返さなくてはならないギリギリの日に、中古車を買いに行きました。それで見つけたのがフォードのエスコートです。本当はもっと時間をかけてゆっくり探したかったのですが、その週末しか期限がなく時間的に無理でした。チェロキーが荷物がたくさん入って便利だったので、4ドアじゃなくて5ドアがいいと思ってた以外、どんな車でもよかったのです。

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こうして文章に書くと、スムーズに全部いったように見えるかもしれませんが、何度も何度も保険会社に電話して、何度も何度もいろんなことを確認して、ようやく終わらせたという印象です。

車のことは何も知らない私が、全部ひとりで決めました。この半年後に夫と知り合ったのですが、彼はとても車には詳しいので、もうちょっと早く知り合っていればいろんなことを相談できたのですけどねー。

ということで、3年が経過して、保険会社の変更ができるようになるまで、この事故に関してはほとんど思い出すことがありませんでした。

今になって本当によかったと思うのは、当日も、あとになっても、事故で身体に支障がでたことがまったくなかったことです。頭が痛くなることすらありませんでした。




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