スペイン旅行1 (96.1)

ガウディパークで


「旅行にはあまり興味がない」と言いながら、私、結構行ってます(^^;。自分から計画をたてることはあまりする気がないのですが、逆に誰かがいるとか、誘われたとなると、多少無理をしてでも行ってしまったりします。OLの頃もパリに一人で行ったこともあります。

そして、去年の冬はスペインに行ってきました。でもこの旅行は半分失敗だったかもしれません。一緒に行った人のペースに合わせられず、2週間のうちの半分は風邪をひいてしまったからです。アメリカに来てほとんど風邪などひいていないのに、旅行先でこんなひどいめに合うとは思いませんでした。

このスペイン旅行の状況は、友人で語学学校の先生だったサラが一足先にスペインに英語を教えに来ていて、彼女のボーイフレンドのディビッドが残りの半年間、一緒に住むため追いかけて行く時に、冬休みなので「私も一緒に行かないか」と誘われたものです。そして当時のクラスメートだったスペイン人、マルセルとも合流して観光する、と言うのが私達の予定です。

もともと私が旅行をあまり好きではない理由は「荷物が重い」からです。だから普通、旅行に出ると特に一人の場合はまず、多少お金がかかってもタクシーでホテルに直行しスーツケースその他を置いて、身軽になってからまわることにしています。でも、この時一緒に行ったディビッドは、まだ学生でもあったため、とにかく安くあげたかったようです。そして、私はスペイン語が全くできないので、サラに頼るしかなく、サラはディビッドの意見を尊重していました。最初のマドリッドのホテルでは、5階なのにエレベーターがなく、重いスーツケースを一人で持ち上げたので、着いた時にはへとへとでした。

その後、サラの友達にも会いあちこちまわるのですが、もともと皆、仲がいいわけではないので、食事一つ意見がまとまらず、皆適当にそこらへんのマクドナルドのようなところに勝手に入って食べたりしていました。私の感覚では、一緒にまわってちょっと離れるときにはきちんと断って行くのが普通だし、自分が食べる時には一緒にいる相手に聞いてからお店に入るというのが普通だったので、こんな風に皆がバラバラで勝手にいなくなったり、食べに行かれたり、という行動には神経をすり減らされました。特に誰かがいなくなって、寒い道路で皆で待たなくちゃいけないと言うのは身体的にも疲れ、また、私が買っている間にも皆いなくなりそうだったので、ゆっくり食べることもできないというのには参りました。これが2日間続きました。

その後、皆と別れ、サラとディビッドと夜行列車に乗ってバルセロナに入りました。ここはきれいで暖かく、とても良いところだったのですが、やはりとてつもなく安いホテルだったため、朝到着したのにチェックインができず、スーツケースを持ったまま3時近くまで歩きまわり、私は完全にダウンしてしまいました。

私は風邪をひき予定の場所をあきらめ、ホテルで寝込みました。このホテルは小さく、もちろんボーイなんていません。いつも誰か一人だけ常備しているのですが、ほとんどの人には英語が通じず、朝の数時間だけマルタという女性がいる時のみ英語が通じるので、話がある時は彼女を待たなくてはなりませんでした。これは風邪をひいているときにはとてもつらく、サラは観光に出ていていないので、風薬一つもらえなかったのです。

そのあとマルセルの実家のリャンサというところへ行くことになっていたのですが、私は断ることにしていました。が、「こんなホテルで寝ているよりマルセルの家で寝ている方がいい」と説得され、結局また荷物をつめてリャンサまで行きました。でもこの強行のおかげでまた風邪が悪化し、私は寝ているだけのつもりが、「ここまで来たのだから来なくちゃもったいない」と誘われ、結局ほとんど彼らについて行きました。ここで私がきっぱり断って「寝ている」と言えなかった理由は「言葉への不安」です。マルセルのご両親も、部屋を貸してくれたおばさんも英語がしゃべれないので、スペイン語のできない私は、サラかマルセルに頼るしかないのです。だから彼らと長時間離れていることは不安だったのです。それで誘われるとついていくのですが、車の中でも気持ち悪く、ほとんど楽しむことはできませんでした。

結局、本来はその後、サラの住んでいるオビエドというところに行くはずだったのだけど、また夜行列車に8時間も耐えることはできない、と今度は完全に断りました。そしてホテルの延長も自分でやって、残りの1週間はバルセロナを一人でまわる決心をしました。サラとディビッドとは心配されながらも別れました。

ところが、彼らと別れてしまうと、気持ちがすーっと楽になりました。風邪もさることながら、私がつらかったのは、何度断ってもまた誘ってくれる、という状況、私の主張(荷物を置く場所を探したい、とか)が無視されてしまったことだったのかもしれません。アメリカに来て、”No”と言うことに慣れてきたとは言え、やっぱり断る時には気を遣ってしまうのです。彼らと別れて一晩寝て起きるとすっきりしました。マルタのいる時間に着替えをすませて、私が持ってきたガイドブックだけでは少なくてよくわからないことを説明すると、インフォメーションの場所を教えてくれて、他に日本人が捨てていったという日本語の詳しいガイドブックを私にくれました。

このインフォメーションでは、まず帰りはどうやって帰ればいいのかを教えてもらい、私の興味があるところへの行き方を教えてくれました。すっかり気持ちが落ち着いて歩いていると、さっきのインフォメーションでやっぱり一人で来ているらしい女性と目が合い、話してみると彼女も日本人、しかも私と同じ年と言うことがわかり、このあと彼女が帰るまで3日間、一緒にまわることになりました。私が今までの状況を簡単に説明すると、初めて会った彼女の方が、私がどれほどつらかったかをわかってくれて感動してしまいました。

私の本当のスペイン旅行はここから始まったと言ってもいいかもしれません。実際、この後1週間のことはよく覚えています。これはバルセロナの有名な建築家、ガウディの公園に彼女と行った時にとったものです。




=スペイン旅行1(ガウディパーク)(96.1)=

この時には十分楽しんでいます。彼女が建築家であったおかけで、ガウディのことや、見る時の特徴を教えてくれて、ガウディの偉大さがわかったりしました。ガウディの公園には奇麗な石がいっぱい使ってあって、スケールの大きさを感じたりしました。実際見てみると、どこか惹かれるものがあるのです。建築のことなんて何も知らない私がそうなのですから、たぶん、わかっている人には感動も大きいのでしょうね。

ガウディの作品の一つにサグラダファミリアという教会の制作があり、ここは、ガウディの死後もまだ出来上がっていず、これからあと100年かかるとも200年かかるとも言われているそうです。今でもまだ外枠しかできていないのですが、なんとも言えず不思議な形で、印象に残りました。

これからしばらく、このスペイン旅行の写真を出すことにしますね(^^)。






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